毛玉河原の落書(新)

受験勉強プロデューサー「けだま」こと武田真樹のブログ。

受験最重要科目:保健体育のお話―コロナ禍ver.(登校・出勤はオワコンなのか。)

ちょっと体調を崩していました、いや、います、かな。

 

といってもコロナ的なものではなく、

昔からの持病である胃痛です。

 

さらには、疲れてコンタクトをしたまま寝てしまって、

半日涙が止まらなくて仕事にならない、

なんていう「目」にもあいました。

 

コロナ禍で、

子どもを保育園にやれないまま自宅勤務ばかりになったり、

なにより、日々の「生きざま」であった、

生徒の前でテンション上げて授業をするという行為が

途切れている状況で、

リズムが崩れている、というのが言い訳です。

 

でもどんな言い訳があろうが、

こういう、身体面でのトラブルは、仕事にとって、

そして受験勉強にとって、成果を出せなくする最大の敵です。

 

人間はしょせん生き物であって、

機械にはなりきれません。

適切な勉強メニューを組み、

そのとおりに脳みそにデータ入力をしていけば

淡々と「容量」が増えていって成果があがる、

というふうになりきれれば無敵ですが、

そうもいかない。

 

机に向かって頑張ろうという気持ちになったり、

そのあと脳みそが調子よく働くためには、

結局体調をととのえる必要があります。

「ココロ」も「アタマ」も、

結局、脳や、ホルモンだの神経伝達物質だの、

要は「カラダ」の働きの産物だからです。

「全てはフィジカル」です。

 

体調がよければメンタル面も健康・快適になり、

そうすれば勉強もスイスイ進みます。

というか、全ては広い意味の「体調」なのです。

 

そして私のような凡人や、

多くの平凡な受験生(ゴメンネ)にとっては、

そういう「体調」をととのえるうえで、

登校・通塾、大人で言えば出勤が、

一定の役割を果たしていることは、

悔しいけど認めざるを得ませんネ。

 

ツイッターである教員のかたが、

「オンライン授業だと疲れるのは、アドレナリンが足りない説」

なんて書かれていて、

苦笑しつつ大いに納得してしまいました。

 

やっぱり、他人と時間を共有するために、

無意識のうちにそのプレッシャーに押されながら、

朝それなりに身支度をし、そこそこ時間に追われ、

駅までけっこうハキハキとしたウォーキングをし、

電車のつり革や手すりで筋トレをし(ない)、

そして僕ら講師は広い教室で、大勢の生徒を前に、

無意識のうちにあるいは意識にのぼるくらい緊張しながら、

かつ流暢に喋れるようにアタマをフル稼働させながら、

演劇のようにデカい声を張り上げる。

生徒だったら、

電車内の筋トレ、じゃなくて駅までのウォーキングまでは同じで、

学校や塾に来てからは、友達と会って、やはり声を出し、

出さなくてもその場にいることでリラックスしたり緊張したり。

 

ここまでの行為で当然体内のいろいろな働きが活性化しますよね。

心肺機能が働いて血液やリンパの循環が良くなり、

またいろいろな心の動き、緊張などで

アドレナリンなどのホルモンや神経伝達物質が分泌されたり。

 

これによって勉強や仕事に「スイッチ」が入り、

それを毎日繰り返すことで「リズム」がうまれる。

 

産業革命から高度成長なども経て、

少なくとも資本主義という仕組みの下では

我々凡人は、

登校や出勤をしてみんなと一緒にやらなくちゃ、

というルールのもとでこのリズムを作ってきました。

いや、アリストテレスの昔から、

「人間は社会的な動物である」と言ってたぐらいだから、

これにはもっと普遍性があるのかもしれない。

 

いずれにせよ、今コロナ禍の下で、大人が、

そしてそれ以上に小中高生、受験生が、この

リズムキープ機能を大きくを

揺さぶられている

ことは確かです。

 

家だとなかなかスイッチが入らない。やる気が出ない。

登校がないとつい生活リズムが崩れる。

 

それはあなたがだらしないダメ人間だからではない。

人間がフィジカルの生き物である以上、

生理的に自然な成り行きです。

 

ですが、そこをうまくやった人と

成り行きに流されて負けてしまった人とで、

もしかしたらけっこう差が付く受験生活になりそうです。

 

そして、大人として感じることは、

これからの社会では受験だけでなく、

出勤・対面といったことの意味が見直され、

合理性に欠けるとされた部分から削られていく…。

ネットで稼いでいる「インフルエンサー」には、

出勤とか、学校とかオワコンと言わんばかりの人も…。

 

こうして、これまで人間――多くの平凡な人間たちの

リズムをキープをしてきたものが揺さぶられ、

それでも勝手に、自主的にアドレナリンを出せる人と、

そうでない人、

「強制されないと体内が然るべき状態にならない人」

との間で、人種が違うくらい

生き方に違いが出てくるんじゃないか

ということです。

(あえて「差」とは言いたくないが…)

 

じゃあ、わりと後者な僕のような平凡な大人、

そして平凡な受験生はどうすればいいのか

 

それに関しては、反面教師の僕、

現在進行中の「しくじり先生」でしかない僕に、

模範解答はありません。

一緒に考えて・頑張っていきましょう、的な

頼りないことしか言えない…。

 

ただ、「全てをフィジカル」ととらえるところに

突破口もしくは「少しはマシ」にしていく道はあると思います。

 

「ああ私はなんて意志が弱いんだ」とか

「心をいれかえよう」

と思い悩むのではなく、

「7時に家を出て、駅まで往復して戻ってくる」

「戻ってきたら窓を開けて

全力でクイックルワイパー(か掃除機)をかける」

のように、

体を物理的(フィジカル)に刺激する具体的行動

ルーティン化して実行する。

 

多くの社会人が筋トレをしているのも

やはり合理性があるからでしょう。

 

「人間は社会的動物」を活かして、

社会的(ソーシャル)に自分を刺激するのもありですね。

オンライン授業前に必ず「おはよー」LINEをする、

但し二言まで、とか。

自主学習前に必ず「始める!」ツイをする、

但しそれ以上はダメ、とか。

元々切磋琢磨し合える友人関係があることが前提ですが

(私はそれもなかったなあ…学生時代は)、

コロナ禍による断絶には、

オンラインでそれを有効に復活させることはできるということです。

 

あるいは、家族との関係が良好な人は、

今唯一心おきなくオフラインで接することのできる家族を、

「活性化に利用」するのも良い。

 

まあこの辺は人それぞれ、

友達がいなくたって、家族がいなくたって

それはそれでありです。

自分の体内でホルモン分泌させて、

活性化することができればいいっていう話ですから。

 

こうしたことを、

なかなか実行できなくて悩むのはしかたない

私もそうですが、

とにかく体をいかに活性化させるかが大事なのだ、

思っておくだけでも

いろいろ見えてくるかもしれないよ。